腰痛生活者の手記 (其ノ二)

ヘルニア嬢、土になる―――。
暗黒舞踏のワークショップに参加した。舞踏家 ○元藤子さんをファシリテーターに、『はぐれてしまった自分に再び出会うために』というテーマで「全身を使いながら、からだに刻み込まれた記憶の断片を探って」みるのだ。処は前橋、大蓮寺。本尊の隣にピアノが置いてあるお寺である。さて、普段から私は意識的にも無意識的にも腰周辺に気を遣っている。すると、見慣れた漢字が突然ただの記号に見えて「この書き方でいいんだっけ?」と思ってしまう瞬間があるように、その捉え方がわからなくなってしまうことがある。毎日のジム通いのお陰で、現在ほとんど「痛み」というものは感じないのだが、客観的に自分の「カラダ」を見直せるのではないかと思い、半ば飛びつく形で参加した。
普段は法事に使われる伽藍のひんやりとした板の間で、まずは舞踏の「歩き方」をならう。身体で宇宙を表わし大地に親しむ舞踏は、最初に土(=生命)と向合う。足が根で、胴は幹、手・腕は枝、と身体を樹木のように再認識することから始まり、足の裏で土(この場合は床)を感じるよう集中する。「踵は床につけ、遠くを見つつまっすぐ歩く」、などの動作から「足の裏では土の生命力を感じ、背中には宇宙を背負う」、という精神的なことまで感じ取りつつ「身体全体」で歩いてみるのである。不思議なことに、全身に神経の糸を張り巡らせないと、足を前へと運べない。精神力だけでなく想像力も必要なのだと思う。
ところで、私は身体を使うタイプのワークショップが好きだ。非日常的な動きを重ねることで、日常をちょっとずらした視点から観ることができるようになる。ただ、私にはいささかキツイ動きがないこともない。今回の動きの中で言うと、「胎児のような格好で床にころがっている状態から、どろどろとした液体になったつもりで出来るだけゆっくりと拡がってゆく様子を表現する」なら問題ないが、「数人で一塊になって雲を表現する」だと自分のペースを保てないから駄目。そういう時は、参加者の輪から離れて他の人の動きを観させてもらうことにしている。距離を置いて「人の塊」を観察するのは、それはそれで面白い。そういえば、リハビリ生活を送っている私の日常自体がそんな調子なのだった。
さて、足の裏の感触を大切にするために、裸足で動く。しかし、足の指先を冷やすと血行が悪くなり、それが疲労につながって「こむらがえり」を起こしてしまうことがある。「こむら」とはふくらはぎの老人語で、これに罹ると足の神経が痙攣し、一時その痛みで動かせなくなってしまうのだ。これを防ぐには、「委中」(膝裏の横皺中央)、「三陰交」(内踝)から指四本上)、「地機」(向こう脛の内側、膝裏の横皺から指五本下)などのツボが有効とされている。これらは腰痛や足の疲労にも効くので普段から愛用しているのだが、疲労時に押すと却って「奴」を呼び寄せてしまうこともあるので要注意。その場合は、痛みの走っているラインを伸ばすようにすると回復が早い。「こむらがえり」とは結局、これ以上無理をさせないよう体が自然にとる防衛措置なのだから、回避するには疲れをためないように休むことだ。というわけで、今回のワークショップ中も、私は時々靴下をはいたり、ストレッチなどして身体をほぐしたりした。
今回、参加してみて面白かったのは、単に身体を再認識するというより、自分をとりまく空気と自分との関係を「再構築」しているような気にもなったことだ。それは自分の輪郭を確認することなんだと思う。「痛み」というのもその輪郭を形作る材料なのだろう、たぶん。

岡部千枝(おかべちえ)
西のあけぼの主宰
lsnt1000@hotmail.com